振り返り
9月14日をもってインターンシップの全コンテツが終了しました。
15日から19日までは1人でベトナムを旅行します。
久しくブログを更新していなかったので、前回の更新から1週間の振り返りをしていきたいと思います。
9月9日10日
この2日間はハロン湾にクルーズで船舶しました。
一人での参加だったのですが、自然の大きさに圧倒されながら、自分の存在を考えたりしてました。
そのクルーズはパッケージなのですが、多くの参加者がいてそれぞれ国籍がバラバラなパッケージでした。
ここ1ヶ月間日本人ではなく、多国籍の環境に身を置くことが多くなり、自分自身の存在意義を考えることが多かったように思えます。
特にハロン湾ではホントに周りは360度自然に囲まれ、他の参加者は多国籍の環境で自分一人と向き合うこと余儀なくされたので存在とは何なのかを考えてました。
まあよくわかりません。自分の存在とかなんで生きてるかとか。だって存在意義って自分が相手に押し付けるものじゃなく、相手が自分に見出すものやん。とか思ってて、結局、存在意義見出されていない空気の状態は漠然と嫌だなと思っているから、その違和感には理由があると思って、またそこから考えたことは「異文化理解」に関してです。
海外のこのような環境に身を置いたら自分から相手を理解しなければ相手は自分に存在意義を見出さず、自分の存在は空気と同然。これは研修の最初に感じたことと同じです。
それなら、日本にずっと居れば異文化理解に苦労せずに存在見いだせるんじゃねって思ったけど、このままだと自分は日本でも存在意義無いのかなって思います。
なぜなら、自分は相手を理解することを避けているように思うからです。どうでもいいやって思っちゃう。日本でも他人と接し、相手に自分の存在意義を見出してもらう時点で日本人、日本人じゃないに関わらず理解が必要だし、自分はこの気づきを体感せずに日本で過ごしてたら、孤立していたのかなって思います。
すごいとりとめもない文になったけど、要はこの2日間で今まで漠然と感じてきた「異文化理解」の重要性が自分の存在意義に繋がるんだなっていうのを深く感じました。
じゃあ「異文化理解」って自分にとって何?ってことで
これはどうやったらなされるのか
やはり海外インターンシップは有効な手段だと感じる。
スタツアとか旅でよくない?みたいな考えもあるが、自分の中ではそれらは異文化認知に過ぎません。
認知が甘いとか軽いとかの話でなく、認知の先である行動まで起こせてようやく理解に近づくのでないかと思う。
どうやったら行動に移せるの?って考えたらそれは理解だと思う。
認知という相手から一方的に受け取ったり感じるだけでなく、
行動を起こそうとする、相手に意思を伝えようとする
これらの行為には理解がなされていないとできない。
相手を理解しようと試み、自分を伝え続け、行動に変えていく
この一連の流れがある海外インターンシップはおそらくかなり価値のあるものだと思う。
実際に行動にまでたどり着けるということは、相手に何かしらの影響を与えられる。
価値の意義はこれ以上でもこれ以下でもない。と感じる。
というAIESECの研修の意義に結びついた2日間でした。
9月11日12日13日14日15日
人の温かさにさらに敏感になった週でした。
ベトナムに来てから些細な子ことにも幸せを感じれるようになっていたのですが、ホームステイがもうすぐ終わるということで、さらに温かさを感じる、感じようとした週でした。
他人を第一に考えて、優しく人をもてなす心。
無償の愛を子供たちに注ぎ続ける親の愛。
どちらも実家にいた時に感じていたんだなって思うものなのに、大学でひとり暮らしを始めた自分が忘れていたというか実感できなくなっていた温かさです。
本当に今までの自分がどれだけ卑しかったとか、ホームステイ先に限らず自分に親切にしてくださる人たちの愛を痛いほど感じるというか、自分の中でどの感情が渦巻いているのか判断できないほどに感動がこみ上げてきます。
そんな事をホームステイ先の方々と別れを告げてもう会わないという状況になってから強く感じます。
いつもそう。失ってから気づく温かさ。
ひとり暮らしをはじめて感じていたから、その自分に向けられた温かさがどれだけ大きなものかを噛み締めながら日々過ごそうと日々思うのに、やっぱり真に理解できるのはもうその温かさを感じることができなくなってから。
涙が止まりません。
僕は相手から何かをしてもらう時に「一人でいたいな」って思ってしまう人間です。
しなくてもいいよ一人でやるから、と。
本当に心が貧しいと言うか卑しさしか無い。
相手は自分を理解しようとして、行動にして自分に接してくれているのに、自分はいつも理解することを棄権してしまう。だから行動に移せない。
馬鹿なのかな自分。過ぎてから行動しなかったこと後悔するのに。
ホームステイ先の小さな娘さんは自分になついて抱きついて来てくれていたのに、自分は抱きしめてあげられなかった。
同じ部屋で寝ていた息子にはいつも自分にチェスなどのゲームのやり方を教えようとしてくれたのに、自分から一緒にやろうと言えなかった。
お父さんには一番お世話になっているのに、お酌すらすることができなかった。
お母さんは仕事で毎日忙しいのに、家事を楽にするくらいに手伝うことすらできなかった。
お爺ちゃんは毎回夕食を作って優しく微笑んでくれるのに、ベトナム語で話しかけることができなかった。
最後にみんなで写真を撮ろうと言えばいいだけいいだけなのに、それすらできなかった。
温かさを感じるだけ感じて、自分はそこまで大きな温かさを与えられなかったことが今になって悔しいです。
そんなことを今週1週間は感じていました。