旅行を終えて
研修が終わり、
9月15日16日はホー・チミン、9月17日18日はダナンに旅行をした。
全く無計画な旅行であったが、人の温かさや冷たさの両方に多く触れた旅でした。
まず、人の冷たさについて。
僕はホー・チミンにてぼったくりに遭った。
典型的なぼったくりでした。
ホー・チミンをブラブラと散策していて、大きなホー・チミン像のあるきれいな広場に出たので、そこで写真を取っていたのですが、その時にバイクに乗った男に話しかけられました。
普段なら無視するような相手です。Grabドライバーでもなんでもないバイクに乗った男は危険だからです。
しかしその男は「自分には日本人の妻がいる」とか言って写真やら日本に関して言ってきました。その当時僕は利他の精神についてかなり考えていたので、観光客に献身的に案内をしてくれるドライバーなのだなと勝手に解釈してしまいました。
最初は観光名所を巡ってくれて、楽しく時間を過ごしたのですが、昼飯代を日本円で4000円を要求されたあたりから疑い始め、また最後にはdrive代金はいらないと言っていたのにガッツリお金を要求され結局4万円を失いました。
信用しすぎました。
他人を。
今までなら絶対しなかったこんなミス。と思っていたけど、思い返してみると、人生の中で他人を安易に信用しすぎるところがあるなと思います。
反省しようというか、うまいはなしは無いってことを肝に銘じたいと思います。
次は人の温かさについて。
このホー・チミンでのぼったくり後すっかりお金がなくなってしまった僕はクレジットカードで残りはしのごうと思っていました。
がしかし、僕のクレジットカードはATMで引き落としができず、持っていたVISAデビットカードはぼったくりで残高が無くなっていて、完全にお金が手元にない状態になりました。@ダナンです。
状況としては、
ダナンに一泊した後にチェックアウトして、空港に向かってハノイに帰り、ハノイに返った後はホテルに向かう
みたいな予定でした。しかし。お金が無いためチェックアウトできず、空港までのお金しか無いため、ハノイについた後ホテルに行くお金がありませんでした。
これは本当に焦りました。
フライトの時間は近づく。しかしチェックアウトできない。
本当に焦りまくっていたら。ホテルの受付の方が、ダナン市内のATMに何個も連れて行ってくださり、それでもお金は下ろせないのでそのままホテルにもどったら、お金は後で振り込めばいいと言ってくださいました。さらに昼ごはんまでごちそうになり、ハノイまで水も無いのはやばいとのことで水もペットボトルでいただきました。またさらにそのあとホテルからダナン空港まで送ってくださって、もうなんとも言えない温かさに触れました。
見返りを求めない利他の精神。
僕が理想とするものを感じることができ一層その素晴らしさに感動しました。
しかし、問題はまだ後1つ。
ハノイについた後の移動のお金が無いし、ホテル代もクレジットカードで払えないなんてその場で言われたらおしまい。
そのため、もう別れを告げたホストファミリーに迷惑を承知で連絡をしたところ、空港まで迎えに来てくれるし、泊めてくれるしでもう本当になんとも言えない温かさを感じました。
感動しました。この優しさに温かさに。
やっぱり見返りを求めない利他の精神は感動を生む。
その感動が人々のまわりで起き続ければ、確実に世界は良くなる。
そんな自分が思っていた理想の社会と照らし合わせて思いました。
また、自分はこれから達成したい価値観として「利他の精神」があるのですが、
やはりこれを達成することは自分の人生の豊かさの支えになるなと強く感じました。
結果、初の一人飛行機、初の一人でぶらり旅
いい経験でした。
研修総括
以下、メーリスで流した週報のコピペです。
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このゴールを達成したんですか?
はい。正確には、今までの価値観の研鑽と価値観の追加です。とても変わりました。
- 理想の社会とは
- 理想の自分とは
- 志とは
- なぜ、何のために生きているのか
- 社会課題に取り組む意義(Facebookで投げたやつ)は?
- 利他の精神って?(自己満かなって思っていたことへの解釈)
- AIESECの価値、提供するものって?
「志」を立て、「夢」を持ち、「目標」に向かって日々生きる。
「志」は「自分が理想の社会(人々の想いを汲んだ)
したがって
「志」を立て、「夢」を持ち、「目標」に向かって日々生きる。
↓
「自分が理想の社会のため人のためにどんな人間でありたいか」
「自分がその志のためにしたいこと」をいくつでも出し、「目標」
「志」:「
社会との境が明確になった「自分」に向き合い、
その「自分」を通して、社会を見直し、行動する
振り返り
9月14日をもってインターンシップの全コンテツが終了しました。
15日から19日までは1人でベトナムを旅行します。
久しくブログを更新していなかったので、前回の更新から1週間の振り返りをしていきたいと思います。
9月9日10日
この2日間はハロン湾にクルーズで船舶しました。
一人での参加だったのですが、自然の大きさに圧倒されながら、自分の存在を考えたりしてました。
そのクルーズはパッケージなのですが、多くの参加者がいてそれぞれ国籍がバラバラなパッケージでした。
ここ1ヶ月間日本人ではなく、多国籍の環境に身を置くことが多くなり、自分自身の存在意義を考えることが多かったように思えます。
特にハロン湾ではホントに周りは360度自然に囲まれ、他の参加者は多国籍の環境で自分一人と向き合うこと余儀なくされたので存在とは何なのかを考えてました。
まあよくわかりません。自分の存在とかなんで生きてるかとか。だって存在意義って自分が相手に押し付けるものじゃなく、相手が自分に見出すものやん。とか思ってて、結局、存在意義見出されていない空気の状態は漠然と嫌だなと思っているから、その違和感には理由があると思って、またそこから考えたことは「異文化理解」に関してです。
海外のこのような環境に身を置いたら自分から相手を理解しなければ相手は自分に存在意義を見出さず、自分の存在は空気と同然。これは研修の最初に感じたことと同じです。
それなら、日本にずっと居れば異文化理解に苦労せずに存在見いだせるんじゃねって思ったけど、このままだと自分は日本でも存在意義無いのかなって思います。
なぜなら、自分は相手を理解することを避けているように思うからです。どうでもいいやって思っちゃう。日本でも他人と接し、相手に自分の存在意義を見出してもらう時点で日本人、日本人じゃないに関わらず理解が必要だし、自分はこの気づきを体感せずに日本で過ごしてたら、孤立していたのかなって思います。
すごいとりとめもない文になったけど、要はこの2日間で今まで漠然と感じてきた「異文化理解」の重要性が自分の存在意義に繋がるんだなっていうのを深く感じました。
じゃあ「異文化理解」って自分にとって何?ってことで
これはどうやったらなされるのか
やはり海外インターンシップは有効な手段だと感じる。
スタツアとか旅でよくない?みたいな考えもあるが、自分の中ではそれらは異文化認知に過ぎません。
認知が甘いとか軽いとかの話でなく、認知の先である行動まで起こせてようやく理解に近づくのでないかと思う。
どうやったら行動に移せるの?って考えたらそれは理解だと思う。
認知という相手から一方的に受け取ったり感じるだけでなく、
行動を起こそうとする、相手に意思を伝えようとする
これらの行為には理解がなされていないとできない。
相手を理解しようと試み、自分を伝え続け、行動に変えていく
この一連の流れがある海外インターンシップはおそらくかなり価値のあるものだと思う。
実際に行動にまでたどり着けるということは、相手に何かしらの影響を与えられる。
価値の意義はこれ以上でもこれ以下でもない。と感じる。
というAIESECの研修の意義に結びついた2日間でした。
9月11日12日13日14日15日
人の温かさにさらに敏感になった週でした。
ベトナムに来てから些細な子ことにも幸せを感じれるようになっていたのですが、ホームステイがもうすぐ終わるということで、さらに温かさを感じる、感じようとした週でした。
他人を第一に考えて、優しく人をもてなす心。
無償の愛を子供たちに注ぎ続ける親の愛。
どちらも実家にいた時に感じていたんだなって思うものなのに、大学でひとり暮らしを始めた自分が忘れていたというか実感できなくなっていた温かさです。
本当に今までの自分がどれだけ卑しかったとか、ホームステイ先に限らず自分に親切にしてくださる人たちの愛を痛いほど感じるというか、自分の中でどの感情が渦巻いているのか判断できないほどに感動がこみ上げてきます。
そんな事をホームステイ先の方々と別れを告げてもう会わないという状況になってから強く感じます。
いつもそう。失ってから気づく温かさ。
ひとり暮らしをはじめて感じていたから、その自分に向けられた温かさがどれだけ大きなものかを噛み締めながら日々過ごそうと日々思うのに、やっぱり真に理解できるのはもうその温かさを感じることができなくなってから。
涙が止まりません。
僕は相手から何かをしてもらう時に「一人でいたいな」って思ってしまう人間です。
しなくてもいいよ一人でやるから、と。
本当に心が貧しいと言うか卑しさしか無い。
相手は自分を理解しようとして、行動にして自分に接してくれているのに、自分はいつも理解することを棄権してしまう。だから行動に移せない。
馬鹿なのかな自分。過ぎてから行動しなかったこと後悔するのに。
ホームステイ先の小さな娘さんは自分になついて抱きついて来てくれていたのに、自分は抱きしめてあげられなかった。
同じ部屋で寝ていた息子にはいつも自分にチェスなどのゲームのやり方を教えようとしてくれたのに、自分から一緒にやろうと言えなかった。
お父さんには一番お世話になっているのに、お酌すらすることができなかった。
お母さんは仕事で毎日忙しいのに、家事を楽にするくらいに手伝うことすらできなかった。
お爺ちゃんは毎回夕食を作って優しく微笑んでくれるのに、ベトナム語で話しかけることができなかった。
最後にみんなで写真を撮ろうと言えばいいだけいいだけなのに、それすらできなかった。
温かさを感じるだけ感じて、自分はそこまで大きな温かさを与えられなかったことが今になって悔しいです。
そんなことを今週1週間は感じていました。
反省
ここ7日間ほどブログ更新を怠りました。
満足感喜びが薄れていきます。
またこの1週間で考えたことの1部をブログに示そうと思います。
8月31日渡航26日
毎日ブログを書く事を自分に課していたにも関わらず、それを欠いてしまう自分の弱さに痛感しております。
今日のテーマ
- 「自分の価値観とは」
- 「日々こなしてる感の打破」
「自分の価値観とは」
自分自身、なぜ自分の価値観を変えたい又は自分の価値観に関して考えを深めたいと思っている理由は前回のブログに記載した。
では、
どうやったら自分の価値観ってわかるのかな
これが自分の中でずっとありました。
結論は価値観は考え込んでも出てくるものではない。というもの。
すこし語弊があるが、要は納得のいく自分の価値観は答えとして出せないということ。
自分の価値観は自分の行動の良し悪し、是非を決めるものであるからこそ重要だしそれをもっていることに良いに越したことはないが、どれだけ自分の価値観はこれだと決めても「本当にそれが自分の価値観か?」という不納得感はつきまとう。
それについてあれこれ考えるよりも、これが自分の価値観だと考えた後は試行錯誤に移るべきなんだなって感じる。
そのため、その価値観に自分が感情的に添えない意思決定が現れた時に自分の価値観の再考が行われるのでいいのではないかと思う。
価値観を決め切らないみたいな言い方になってしまうが、それもニュアンスとしては違う。
価値観は裏切れないもの、だからこそ自分が今まで裏切ってこなかったものが価値観であるがために、自分のコアの価値観というのは絶対的には存在すると思う。
しかし、決め込みすぎて自分の動きが不自由になるのは非効率で、柔軟性も必要になると思う。
価値観をどの程度決め込んで、どの程度変化可能な領域を残してでも前に進むか。
これはバランスが難しいと思うが、自分の価値観を考える上では、悩んでるだけで考えていない状態にならないためにも心がけたい。
「日々こなしている感の打破」
自分は今行っている研修に関して違和感を感じていた。
それは
- 研修が終わった際の目標に対して自分が日々取り組めているのか
- 日々のタスク管理はできているがto doとしてこなしている感じじゃないか
という違和感だ。
まず両方に関して
ゴールを測る指標がない、または指標がやったやってないだけになっている
という点が問題であった。
目標を決めてこれを達成したい。だからこういうことをしなきゃで日々これをやろうって感じでタスクを決めていたが、それだけだから日々こなしている感が否めなかったのだと思う。
そのタスクが目標達成に向けてベストなものかを測る指標がなく、todoをやったやらないだけの判断しかなかったから、成果が見えずにこなしていただけになったのだろう。
例えば、パワポを作るというtodoにしても作るだけの指標なら自分のさじ加減で2時間で仕上げても30分で仕上げてもtodoを完了したことには変わらない。
だからこそ、そのパワポ作成が目標に向けてベストかを自分以外の手が関わる指標測らなければならない。
自分たちのtodoは満足度4.5のものなのか3.5のものなのか他者の視点で(アンケートなど)で毎回測らねばならない。
次に、前者の
- 研修が終わった際の目標に対して自分が日々取り組めているのか
に関して。
これは自分が理想ベースで考えすぎていたことが原因だった。
自分の目標設定は研修の内容を全く考慮せずに考えていたもののため、日々の活動に落としきれず、さらに日々の活動で得られるものの最大化もできていない。
もっと、現状ベースでこれが内容としてあるから、これを得られると思うから、自分のこのwantにつなげようみたいな発想で目標を設定する必要があった。
目標の再設定が必要。
しかし、全てが先を見越したような考え方もどうかと思う。
研修の内容としてのゴールを決めて、それに向けてアクションを全力で取った上で、得られたものから自分がどう変化したとか何を得られたとかを考えるのも大切なことだと思う。
これもまたバランスが難しくて、
研修内容としての目標と研修というものを通しても目標を分けて考えていきたい。
8月27日渡航22日目
今回のテーマ
「成長を考える前に」
自分自身、結局自己認識は自己成長とかとりあえず魅力的になりたいみたいな漠然としたレベルだったんだなって思い知った。
日本にいる先輩と電話をする機会があったのだが、自分の現状のもやもやをぶつけてみると、自分の浅はかさを痛感。
まず、もやもやの原因を記述する。
今回の研修に関して自分は
【価値観を変える】をテーマにしていた。
それは日本にいた現状の自分に対し不満を抱いていて、その不満の理由を1つ1つ明確にしていった上で、結局は大学に入っても高校以前の自分と何も変わってないし、価値にも変化がないという「自分の成長感のなさ」が不満の根本だと自分なりに解釈した。
問題はこの後で、「自分の成長感を得る」ために「価値観を変えなければならない」と飛躍して捉えていた。
これは今までに成長には価値観の変化が必要と誰かが言っていたからそうなんだなと鵜呑みにした結果だ。
ただ周りに流されただけで価値観の変化とは何かを真に理解していなかった。
流されるのは嫌いなのに情けない。
そもそも、「価値観」って何?みたいなことを去年のEICのときから考えていなかったのも相当甘い。
だから研修の中盤になって、
【価値観を変える】っていうテーマに関して「結果論じゃね?」とか逃げて、自分が何に向かっているのかが不明確になり、もやもやが募ったのだと思う。
以下先輩との話で自分が納得感を持ったものをまとめる。
価値観:自分が大切にしたいもの・譲れないもの・打ち消したいと思うマイナスのもの
この大きさにより優先順位が決まるものであるというのが前提。
価値観が変わるのは
- 自分の価値観を明確に把握している状態
- その価値観に従った行動を日々起こせている
これがなされて起きる。
ではなぜ、価値観の変化→自己成長という展開になるのか
- 自分の価値観を把握
「自分がなぜ生きているのか・どんな時に幸せを感じているのか・自分のなりたい像・成し遂げたいもの」などが見えてくる。 - 日々その価値観に従った行動をする
- 何かしらのきっかけで日々大切にしていた価値観とは違うものに出会う
または価値観の優先順位に変化が起こる
または現状の価値観に確信を得られる - 自分のなりたい像や成し遂げたいもの【自分の努力する先】が変わってくる
- やるべきことの方向や距離が変化し、さらにプロセスが明確になる
- それに向けてアクション
- アクション前と後の自分が比較できるため、自己満でない成長感を得られる
というのが
価値観の変化→自己成長という展開だと噛み砕けた。
よく、海外に行くと価値観が変わるというのは3番が過酷な環境に身を置くことで起きやすいからだとようやく理解した。
今の自分に足りないのは恥ずかしいが、1番。
去年自分の価値観について考えたが、そもそも価値観とは何?みたいなのを考えていなかったため、形だけのアウトプットとなり、価値観に従った行動の重要性を全く理解していなかった。そのため、去年1年間自分の価値観に関して深く考えてこなかった。
まず、1番から焦らずに納得して進んでいきたい。
8月26日渡航21日目
今回は別のところで書いたところをそのままコピペしたいと思います。
少し省エネしてしまいました。
また昨日ブログを更新できなかった事は本当に反省すべき事案だと思っております。
以下、コピペです。
①今週の研修について (研修の内容、研修に対する評価など)
もうすでに週報にて報告したのですが、
- PLとして自分がFBをする側なんだってことを過度に意識しすぎ
たこと - 謎のプライドが邪魔していること
②みんなに紹介したいもの
グローバルパスポートが終わったので国際交流的なこともしていな
③今週の漢字「惰」