旅行を終えて

研修が終わり、

9月15日16日はホー・チミン、9月17日18日はダナンに旅行をした。

全く無計画な旅行であったが、人の温かさや冷たさの両方に多く触れた旅でした。

 

まず、人の冷たさについて。

僕はホー・チミンにてぼったくりに遭った。

典型的なぼったくりでした。

ホー・チミンをブラブラと散策していて、大きなホー・チミン像のあるきれいな広場に出たので、そこで写真を取っていたのですが、その時にバイクに乗った男に話しかけられました。

普段なら無視するような相手です。Grabドライバーでもなんでもないバイクに乗った男は危険だからです。

しかしその男は「自分には日本人の妻がいる」とか言って写真やら日本に関して言ってきました。その当時僕は利他の精神についてかなり考えていたので、観光客に献身的に案内をしてくれるドライバーなのだなと勝手に解釈してしまいました。

最初は観光名所を巡ってくれて、楽しく時間を過ごしたのですが、昼飯代を日本円で4000円を要求されたあたりから疑い始め、また最後にはdrive代金はいらないと言っていたのにガッツリお金を要求され結局4万円を失いました。

信用しすぎました。

他人を。

今までなら絶対しなかったこんなミス。と思っていたけど、思い返してみると、人生の中で他人を安易に信用しすぎるところがあるなと思います。

反省しようというか、うまいはなしは無いってことを肝に銘じたいと思います。

 

次は人の温かさについて。

このホー・チミンでのぼったくり後すっかりお金がなくなってしまった僕はクレジットカードで残りはしのごうと思っていました。

がしかし、僕のクレジットカードはATMで引き落としができず、持っていたVISAデビットカードはぼったくりで残高が無くなっていて、完全にお金が手元にない状態になりました。@ダナンです。

状況としては、

ダナンに一泊した後にチェックアウトして、空港に向かってハノイに帰り、ハノイに返った後はホテルに向かう

みたいな予定でした。しかし。お金が無いためチェックアウトできず、空港までのお金しか無いため、ハノイについた後ホテルに行くお金がありませんでした。

これは本当に焦りました。

フライトの時間は近づく。しかしチェックアウトできない。

本当に焦りまくっていたら。ホテルの受付の方が、ダナン市内のATMに何個も連れて行ってくださり、それでもお金は下ろせないのでそのままホテルにもどったら、お金は後で振り込めばいいと言ってくださいました。さらに昼ごはんまでごちそうになり、ハノイまで水も無いのはやばいとのことで水もペットボトルでいただきました。またさらにそのあとホテルからダナン空港まで送ってくださって、もうなんとも言えない温かさに触れました。

見返りを求めない利他の精神。

僕が理想とするものを感じることができ一層その素晴らしさに感動しました。

しかし、問題はまだ後1つ。

ハノイについた後の移動のお金が無いし、ホテル代もクレジットカードで払えないなんてその場で言われたらおしまい。

そのため、もう別れを告げたホストファミリーに迷惑を承知で連絡をしたところ、空港まで迎えに来てくれるし、泊めてくれるしでもう本当になんとも言えない温かさを感じました。

感動しました。この優しさに温かさに。

 

やっぱり見返りを求めない利他の精神は感動を生む。

その感動が人々のまわりで起き続ければ、確実に世界は良くなる。

 

そんな自分が思っていた理想の社会と照らし合わせて思いました。

 

また、自分はこれから達成したい価値観として「利他の精神」があるのですが、

やはりこれを達成することは自分の人生の豊かさの支えになるなと強く感じました。

 

結果、初の一人飛行機、初の一人でぶらり旅

いい経験でした。

研修総括

以下、メーリスで流した週報のコピペです。

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まずはじめに、この研修では自分に多くの問を投げかけ続けたのですが、
その問に自分なりに解釈する目的の根源は「人生を豊かにしたい」という単純欲求です。
僕はこの単純欲求のために【自分は何を考え、どう行動すべきかを考えた】ということです。
どう豊かなの?とか言えるかもしれないけど、それを考えることに意味があるように思えないし、
心が「豊かな人生であったなぁ」って感じるために
自分にとって最適な行動とか状態が決定されていくわけだから、前回の週報でも書いたように、
根本的に「豊かな人生であったなぁ」と感じるためには
価値観(自分の価値基準)に従い生き抜くこと
が最期に豊かだったと思える人生だと思っています。
(もうこれ以上深掘りをしても、
人生を豊かにしたい→豊かじゃない人生は嫌だから
みたいな裏返ししかできないようなアウトプットのレベル感変わらないなっていうものを
最近僕は「単純欲求」と言っています。)
 
以下、自分がその単純欲求に対して
どんな問を・どんな解釈を・どんな行動をしたかについて記述します。
(かなり思考過程や自分の解を省いて書いてあるので、質問や疑問があれば気軽に言ってください。)
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研修で主に何を達成したんですか?
まず、僕の研修のゴールは「価値観を変えること」した。
そのゴールから研修で行えそうな行動を目標にしてました。
正直、研修の途中でわけわからん雑魚過ぎなゴール設定だなと反省していました。
それは自分が参加する研修自体の特性を踏まえて得られるものとかを考えずに、
普段から自分が思っているような事が過酷なら達成できるのではと安直に考え、ゴールにしていたと思ったからです。
そのため、研修の途中で
[目標を研修の内容から得たいゴール]:A
[AIESECの研修として得たいゴール]:B
で分けてゴールを再設定しますって週報で書いたのですが、してません。
なぜなら、このゴールってどの行動においても今の自分の根底にあるべきものだし、
しかもA∈Bじゃん場合分け出来てるようでできてないパターンじゃんとか思い、
THE AIESEC WAYを読み直した時に、今の自分にとってのAIESECのこの研修の経験最大化には
「価値観を変えること」
回りに回って最適と判断したからです。
 
このゴールを達成したんですか?
はい。正確には、今までの価値観の研鑽と価値観の追加です。とても変わりました。
 
まあ、話はまた戻って、研修前に戻ります。
「なんで価値観を変えたいんですか?」
冷静にこの問を研修に行く前に考えるべきでした。
渡航前は
価値観が高校の時から変わってないってなんか自分何も成長してないんじゃね?え?汗
じゃあ自己成長のためには価値観変えなきゃ!」
みたいな短絡的な発想だったため、価値観の変化→自己成長
っていうよく聞くことを鵜呑みにしてゴール設定し、自分なりに価値観の変化を咀嚼できていませんでした。
 
*自己成長と価値観変化の関係とは?
日々自分の価値観に従った行動をする
何かしらのきっかけで今まで大切にしていた価値観とは違うものに出会うor優先順位に変化が起こる
→過酷な環境に身を置いた方が価値観の変化が起きやすい(その環境では今までの価値観の中で本当に自分が大事にしているものがわかるから)
→なりたい像や成し遂げたいことが変わってくる
→やるべきことが変化する
→目指す方向が変わったり、遠くなったり明確になり、それに向けてアクションが起こせる。 
→現状維持でなく推進による自己成長
 
と先輩方との話を参考にして納得したので、これをするためには自分の価値観をまず認識する必要があることから、
前回の週報で「価値観とは」というのについて記述し、価値観の重要性について考えを書きました。
 
把握した価値観は過去から考えたことなので、今まで大事にしていた価値観を元に
達成したい価値観って何?
っていう未来志向で考えると、
  • 理想の社会とは
  • 理想の自分とは
  • 志とは
  • なぜ、何のために生きているのか
などの自分が向かう先を問う問を自分に投げかける必要があると思い、自分なりに考えました。
(ここで言う「必要」や未来志向をする意味というのは最初に記述した
「人生を豊かにしたい」という単純欲求を満たすためのものです。)
そしてこれらを考えると自然と
  • 社会課題に取り組む意義(Facebookで投げたやつ)は?
  • 利他の精神って?(自己満かなって思っていたことへの解釈)
  • AIESECの価値、提供するものって?
に対する考えのヒントを実体験を元に確実に得られたと思います。
 
結局、最初は自己成長のために価値観を変えるような研修をしたいって思っていたけど、
考えれば考えるほど、自己成長なんて結果現象でしかなくて目的ではないという思いが強くなりました。
価値観をしっかりと把握し直し、その価値観に従い行動し、さらに未来志向で問を自分に投げ続けることで、
上の問いへの解釈が明確になっていき、自分の殻が1つ2つと破れていく感じが研修を通してありました。
だから、結果論でしか無いけど、「価値観を変えること」という研修の目的をどうにか果たそうとすることで、
結果的に自分は成長した6週間になったなと思っています。
これが僕なりのLife Changing Experienceでした。
 
 
前回の週報の問に関して
「志とは」が前回皆さんに僕が投げかけた問です。自分なりの解釈をかいつまんで記述します。
 
まず志を考える必要性を自分で納得した後に、混同し易い言葉「夢」「志」「目標」について定義して、

「志」を立て、「夢」を持ち、「目標」に向かって日々生きる。

が自然な流れだと判断しました。
「志」が利他的で社会の人々の想いを汲むものであり、夢が利己的なものだとするならば、

「志」は「自分が理想の社会(人々の想いを汲んだ)のため人のためにどんな人間でありたいか」として捉えることが出来ると思う。

したがって

「志」を立て、「夢」を持ち、「目標」に向かって日々生きる。

       ↓

「自分が理想の社会のため人のためにどんな人間でありたいか」を考え、

「自分がその志のためにしたいこと」をいくつでも出し、「目標」設定する。

 
かなって今は思っています。
 

「志」:「自分が理想の社会のため人のためにどんな人間でありたいか、どんな貢献をしたいか」

これが前回皆さんに投げかけた問の自分の解釈です。
ただ、まだ自分なりのアウトプットは出ていません。
 
「デジタル情報革命で、知恵と知識の共有を推進し、人類に貢献する」
これは孫正義の志ですが、これを考えるのに1年半を要したそうです。
志は今後の人生全体に影響するものだと思うので、僕も考え抜きたいと思います。
 
 
研修全体のまとめ
あれ?橋谷研修で内省しかしてないの?とか感じるかもしれません。(そんなことないよ笑)
AIESECの研修で得られるものは大まかにスキルとマインドに大別して考えられます。
僕が参加する研修は主体性や難易度の面からもともと持ってるスキルを求められる研修だと思っていたので
スキルを得たい・研鑽したいというよりも、自分がもっているスキルをぶつけ続け、
その過程でAIESEC特有の環境を感じながら、マインド面に磨きをかけたいと思って参加しました。
もともとのスキルに向上が見れたのはもちろんだけど、
僕が重きを置いていたのはマインドなので、どの週報もマインドに関するものばかりでした。
(この研修は具体的な内容を公表できないことも理由の一つ)
また、この環境は普段のコンフォートゾーンでないために、社会に対する「自分」がとても鮮明になるため、
マインドの変化が捉えやすく、自分の掲げたゴールに向かうためには?を考えやすかったです。
 
社会との境が明確になった「自分」に向き合い、
その「自分」を通して、社会を見直し、行動する
 
これが、僕の研修の全てです。
しかし、価値観を考えていく中で出てきた上のような問に自分の解釈を出せば出せど、抽象度が高すぎて、
現在、具体的に何をしたら良いんだろ?みたいな状態かつ、そういう解釈と自分の夢(利己的なもの)の関係性に関して
まだ解を見出だせていません。
要するに、これを掲げたしこれを達成したいことに疑問は無いけど、自分の夢と結びつけて考えるってどうするんだろう。
ということです。
そのため、長期的または中期的にやりたい具体的なことが定まらず、
研修後に何をするかが明確でなく、目の前のことって感じのアウトプットで止まっています。
 
まあでも問に対する自己解釈の抽象度を下げていくってことが
今自分が止まっているところから動くための第一歩ってことだと思うので、
それを帰国までの時間で行い、その後に具体的に何をやるか考えます。
 
 
最後に
研修内容に、身の回りの社会に、そして自分にと
何かと考えることが多かった6週間でした。
 
自分の質問に丁寧に対応してくださった先輩方、本当に有難うございました。
またEPマネとしてサポートしてくださったかたりささんゆうすけさん有難うございました。
 
 
感動体験を提供すること
 
これは営利非営利・企業学生団体など枠やそれぞれの目的に囚われず、
人にサービスを提供していく者たちが忘れてはいけない信念であり根幹だと感じています。
 
苦しかったこと辛いこと悲しいことを乗り越えて喜びや感謝に変わる感動。
今までできずにもがき苦しんでいたことが出来るようになる感動。
 
人は細かな枝葉のような理由とかでなく、
幹の部分として感動的なものに魅力を感じ、感動的なものに惹かれるのかなって思います。
研修に参加した人はその大きさ問わず感動する体験を多く感じたのではないでしょうか。
 
AIESECという繋がりや現地での繋がりなど人に対して
達成したいものや乗り越えたいものに対して
普段とは違う景色や情感に対して
 
様々な対象に感動を感じられたと思います。
僕はそのどれもに対して多くの感動を感じました。
 
AIESECの活動はその感動体験が理想追求という意義深さの中に多く詰まったものであるために
ここまで大きな団体となり、多くの人を惹きつけてるんだなって思います。
 
この経験を必ず今後のLCさらには人生に活かしたいと思います。
 
ありがとうございました。

振り返り

9月14日をもってインターンシップの全コンテツが終了しました。

15日から19日までは1人でベトナムを旅行します。

 

久しくブログを更新していなかったので、前回の更新から1週間の振り返りをしていきたいと思います。

 

9月9日10日

この2日間はハロン湾にクルーズで船舶しました。

一人での参加だったのですが、自然の大きさに圧倒されながら、自分の存在を考えたりしてました。

そのクルーズはパッケージなのですが、多くの参加者がいてそれぞれ国籍がバラバラなパッケージでした。

ここ1ヶ月間日本人ではなく、多国籍の環境に身を置くことが多くなり、自分自身の存在意義を考えることが多かったように思えます。

特にハロン湾ではホントに周りは360度自然に囲まれ、他の参加者は多国籍の環境で自分一人と向き合うこと余儀なくされたので存在とは何なのかを考えてました。

まあよくわかりません。自分の存在とかなんで生きてるかとか。だって存在意義って自分が相手に押し付けるものじゃなく、相手が自分に見出すものやん。とか思ってて、結局、存在意義見出されていない空気の状態は漠然と嫌だなと思っているから、その違和感には理由があると思って、またそこから考えたことは「異文化理解」に関してです。

海外のこのような環境に身を置いたら自分から相手を理解しなければ相手は自分に存在意義を見出さず、自分の存在は空気と同然。これは研修の最初に感じたことと同じです。

それなら、日本にずっと居れば異文化理解に苦労せずに存在見いだせるんじゃねって思ったけど、このままだと自分は日本でも存在意義無いのかなって思います。

なぜなら、自分は相手を理解することを避けているように思うからです。どうでもいいやって思っちゃう。日本でも他人と接し、相手に自分の存在意義を見出してもらう時点で日本人、日本人じゃないに関わらず理解が必要だし、自分はこの気づきを体感せずに日本で過ごしてたら、孤立していたのかなって思います。

すごいとりとめもない文になったけど、要はこの2日間で今まで漠然と感じてきた「異文化理解」の重要性が自分の存在意義に繋がるんだなっていうのを深く感じました。

じゃあ「異文化理解」って自分にとって何?ってことで
これはどうやったらなされるのか
やはり海外インターンシップは有効な手段だと感じる。
スタツアとか旅でよくない?みたいな考えもあるが、自分の中ではそれらは異文化認知に過ぎません。
認知が甘いとか軽いとかの話でなく、認知の先である行動まで起こせてようやく理解に近づくのでないかと思う。
どうやったら行動に移せるの?って考えたらそれは理解だと思う。
認知という相手から一方的に受け取ったり感じるだけでなく、
行動を起こそうとする、相手に意思を伝えようとする
これらの行為には理解がなされていないとできない。
相手を理解しようと試み、自分を伝え続け、行動に変えていく
この一連の流れがある海外インターンシップはおそらくかなり価値のあるものだと思う。
実際に行動にまでたどり着けるということは、相手に何かしらの影響を与えられる。
価値の意義はこれ以上でもこれ以下でもない。と感じる。

というAIESECの研修の意義に結びついた2日間でした。

 

9月11日12日13日14日15日

人の温かさにさらに敏感になった週でした。

ベトナムに来てから些細な子ことにも幸せを感じれるようになっていたのですが、ホームステイがもうすぐ終わるということで、さらに温かさを感じる、感じようとした週でした。

他人を第一に考えて、優しく人をもてなす心。

無償の愛を子供たちに注ぎ続ける親の愛。

 

どちらも実家にいた時に感じていたんだなって思うものなのに、大学でひとり暮らしを始めた自分が忘れていたというか実感できなくなっていた温かさです。

本当に今までの自分がどれだけ卑しかったとか、ホームステイ先に限らず自分に親切にしてくださる人たちの愛を痛いほど感じるというか、自分の中でどの感情が渦巻いているのか判断できないほどに感動がこみ上げてきます。

そんな事をホームステイ先の方々と別れを告げてもう会わないという状況になってから強く感じます。

いつもそう。失ってから気づく温かさ。

ひとり暮らしをはじめて感じていたから、その自分に向けられた温かさがどれだけ大きなものかを噛み締めながら日々過ごそうと日々思うのに、やっぱり真に理解できるのはもうその温かさを感じることができなくなってから。

涙が止まりません。

僕は相手から何かをしてもらう時に「一人でいたいな」って思ってしまう人間です。

しなくてもいいよ一人でやるから、と。

本当に心が貧しいと言うか卑しさしか無い。

相手は自分を理解しようとして、行動にして自分に接してくれているのに、自分はいつも理解することを棄権してしまう。だから行動に移せない。

馬鹿なのかな自分。過ぎてから行動しなかったこと後悔するのに。

ホームステイ先の小さな娘さんは自分になついて抱きついて来てくれていたのに、自分は抱きしめてあげられなかった。

同じ部屋で寝ていた息子にはいつも自分にチェスなどのゲームのやり方を教えようとしてくれたのに、自分から一緒にやろうと言えなかった。

お父さんには一番お世話になっているのに、お酌すらすることができなかった。

お母さんは仕事で毎日忙しいのに、家事を楽にするくらいに手伝うことすらできなかった。

お爺ちゃんは毎回夕食を作って優しく微笑んでくれるのに、ベトナム語で話しかけることができなかった。

最後にみんなで写真を撮ろうと言えばいいだけいいだけなのに、それすらできなかった。

温かさを感じるだけ感じて、自分はそこまで大きな温かさを与えられなかったことが今になって悔しいです。

 

 

そんなことを今週1週間は感じていました。

 

 

反省

ここ7日間ほどブログ更新を怠りました。

満足感喜びが薄れていきます。

 

またこの1週間で考えたことの1部をブログに示そうと思います。

 

結局「価値観」って?
先輩方から話を聞く中で自分として納得のいく結論が
 
自分の取る行動が満足感や喜び(もう一度したいと思うこと)を生むものかという価値基準。
 
かなって思います。
これはなんで価値観を考えるの?っていうのを考えていた時に
人生を豊かにしたいなぁっていう単純欲求から
「満足や喜び」を感じる瞬間の再現性が高まれば今までより豊かじゃね?
って思って、自分が「満足や喜び」を感じる基準を価値観として自分の中に持っていれば、それに従うことで
「満足や喜び」の再現性って高まるんじゃない?
って至ったから上のように定義付けました。
全員に当てはまるわけではないと思うけど、
自分の中では今までもやもやしてた「価値観」ってものが
ようやくスッキリしたので、結果オーライって思ってます。
 
この後に満足や喜びっていうものから、自分の人生を振り返って自分の「価値観」を言語化できたのですが、
恥ずかしいので言いません。
 
 
まだ考える事は多いので、向き合っていきたいと思います。

8月31日渡航26日

毎日ブログを書く事を自分に課していたにも関わらず、それを欠いてしまう自分の弱さに痛感しております。

 今日のテーマ

  • 「自分の価値観とは」
  • 「日々こなしてる感の打破」

 

「自分の価値観とは」

自分自身、なぜ自分の価値観を変えたい又は自分の価値観に関して考えを深めたいと思っている理由は前回のブログに記載した。

では、

どうやったら自分の価値観ってわかるのかな

これが自分の中でずっとありました。

結論は価値観は考え込んでも出てくるものではない。というもの。

すこし語弊があるが、要は納得のいく自分の価値観は答えとして出せないということ。

自分の価値観は自分の行動の良し悪し、是非を決めるものであるからこそ重要だしそれをもっていることに良いに越したことはないが、どれだけ自分の価値観はこれだと決めても「本当にそれが自分の価値観か?」という不納得感はつきまとう。

それについてあれこれ考えるよりも、これが自分の価値観だと考えた後は試行錯誤に移るべきなんだなって感じる。

そのため、その価値観に自分が感情的に添えない意思決定が現れた時に自分の価値観の再考が行われるのでいいのではないかと思う。

価値観を決め切らないみたいな言い方になってしまうが、それもニュアンスとしては違う。

価値観は裏切れないもの、だからこそ自分が今まで裏切ってこなかったものが価値観であるがために、自分のコアの価値観というのは絶対的には存在すると思う。

しかし、決め込みすぎて自分の動きが不自由になるのは非効率で、柔軟性も必要になると思う。

価値観をどの程度決め込んで、どの程度変化可能な領域を残してでも前に進むか。

これはバランスが難しいと思うが、自分の価値観を考える上では、悩んでるだけで考えていない状態にならないためにも心がけたい。

 

「日々こなしている感の打破」

自分は今行っている研修に関して違和感を感じていた。

それは

  • 研修が終わった際の目標に対して自分が日々取り組めているのか
  • 日々のタスク管理はできているがto doとしてこなしている感じじゃないか

という違和感だ。

まず両方に関して

ゴールを測る指標がない、または指標がやったやってないだけになっている

という点が問題であった。

目標を決めてこれを達成したい。だからこういうことをしなきゃで日々これをやろうって感じでタスクを決めていたが、それだけだから日々こなしている感が否めなかったのだと思う。

そのタスクが目標達成に向けてベストなものかを測る指標がなく、todoをやったやらないだけの判断しかなかったから、成果が見えずにこなしていただけになったのだろう。

例えば、パワポを作るというtodoにしても作るだけの指標なら自分のさじ加減で2時間で仕上げても30分で仕上げてもtodoを完了したことには変わらない。

だからこそ、そのパワポ作成が目標に向けてベストかを自分以外の手が関わる指標測らなければならない。

自分たちのtodoは満足度4.5のものなのか3.5のものなのか他者の視点で(アンケートなど)で毎回測らねばならない。

 

次に、前者の

  • 研修が終わった際の目標に対して自分が日々取り組めているのか

に関して。

これは自分が理想ベースで考えすぎていたことが原因だった。

自分の目標設定は研修の内容を全く考慮せずに考えていたもののため、日々の活動に落としきれず、さらに日々の活動で得られるものの最大化もできていない。

もっと、現状ベースでこれが内容としてあるから、これを得られると思うから、自分のこのwantにつなげようみたいな発想で目標を設定する必要があった。

目標の再設定が必要。

しかし、全てが先を見越したような考え方もどうかと思う。

研修の内容としてのゴールを決めて、それに向けてアクションを全力で取った上で、得られたものから自分がどう変化したとか何を得られたとかを考えるのも大切なことだと思う。

これもまたバランスが難しくて、

研修内容としての目標と研修というものを通しても目標を分けて考えていきたい。

8月27日渡航22日目

今回のテーマ

「成長を考える前に」

 

自分自身、結局自己認識は自己成長とかとりあえず魅力的になりたいみたいな漠然としたレベルだったんだなって思い知った。

 

日本にいる先輩と電話をする機会があったのだが、自分の現状のもやもやをぶつけてみると、自分の浅はかさを痛感。

 

まず、もやもやの原因を記述する。

今回の研修に関して自分は

【価値観を変える】をテーマにしていた。

それは日本にいた現状の自分に対し不満を抱いていて、その不満の理由を1つ1つ明確にしていった上で、結局は大学に入っても高校以前の自分と何も変わってないし、価値にも変化がないという「自分の成長感のなさ」が不満の根本だと自分なりに解釈した。

問題はこの後で、「自分の成長感を得る」ために「価値観を変えなければならない」と飛躍して捉えていた。

これは今までに成長には価値観の変化が必要と誰かが言っていたからそうなんだなと鵜呑みにした結果だ。

ただ周りに流されただけで価値観の変化とは何かを真に理解していなかった。

流されるのは嫌いなのに情けない。

そもそも、「価値観」って何?みたいなことを去年のEICのときから考えていなかったのも相当甘い。

だから研修の中盤になって、

【価値観を変える】っていうテーマに関して「結果論じゃね?」とか逃げて、自分が何に向かっているのかが不明確になり、もやもやが募ったのだと思う。

 

以下先輩との話で自分が納得感を持ったものをまとめる。

価値観:自分が大切にしたいもの・譲れないもの・打ち消したいと思うマイナスのもの

この大きさにより優先順位が決まるものであるというのが前提。

価値観が変わるのは

  • 自分の価値観を明確に把握している状態
  • その価値観に従った行動を日々起こせている

これがなされて起きる。

ではなぜ、価値観の変化→自己成長という展開になるのか

  1. 自分の価値観を把握
    「自分がなぜ生きているのか・どんな時に幸せを感じているのか・自分のなりたい像・成し遂げたいもの」などが見えてくる。
  2. 日々その価値観に従った行動をする
  3. 何かしらのきっかけで日々大切にしていた価値観とは違うものに出会う
    または価値観の優先順位に変化が起こる
    または現状の価値観に確信を得られる
  4. 自分のなりたい像や成し遂げたいもの【自分の努力する先】が変わってくる
  5. やるべきことの方向や距離が変化し、さらにプロセスが明確になる
  6. それに向けてアクション
  7. アクション前と後の自分が比較できるため、自己満でない成長感を得られる

というのが

価値観の変化→自己成長という展開だと噛み砕けた。

よく、海外に行くと価値観が変わるというのは3番が過酷な環境に身を置くことで起きやすいからだとようやく理解した。

 

今の自分に足りないのは恥ずかしいが、1番。

去年自分の価値観について考えたが、そもそも価値観とは何?みたいなのを考えていなかったため、形だけのアウトプットとなり、価値観に従った行動の重要性を全く理解していなかった。そのため、去年1年間自分の価値観に関して深く考えてこなかった。

 

まず、1番から焦らずに納得して進んでいきたい。

 

8月26日渡航21日目

今回は別のところで書いたところをそのままコピペしたいと思います。

少し省エネしてしまいました。

また昨日ブログを更新できなかった事は本当に反省すべき事案だと思っております。

 

以下、コピペです。

 


①今週の研修について (研修の内容、研修に対する評価など) 
もうすでに週報にて報告したのですが、
TN先となっているグローバルパスポートという研修が終了し、
この週からは別のプロジェクトだけに集中しております。
その為、週報で流せる情報が少なくなりますがご了承を。
 
研修に関しては社員の方々からFBを貰う機会が増えて、
「なるほどな!」と思うことが多くなりました。
 
(本当に別のプロジェクトの内容を言えないため、
説明や自分の気づきをどう具体的な経験に基づいて伝えようかなと悩むのですが、、、)
 
今週を総括するような気づきとしては
自分の成長にはアウトプット以上にFBが大切だということ。
いくら自分がアウトプットを出しても、それを自分自身でなく
他者に評価してもらわないと絶対にクオリティは上がらないんだなって体感しました。
めっちゃ当たり前じゃない?みたいな感じだけど、
意外とこれって日本で自分が意識して積極的に先輩や同期にFBをもらいに行っていたかと思うと皆無だったなって気づきました。
理由としては
  • PLとして自分がFBをする側なんだってことを過度に意識しすぎたこと
  • 謎のプライドが邪魔していること
これに尽きると思います。まあ要は自分の傲慢です。
メンバーへのFBをする前に自分自身にメンバーのFBするクオリティが仕上がっているのか。】
これを疑わなかった時点でかなりの傲慢だったし、
自分のアウトプットを疑わなかったことも傲慢だったなとかなり痛感しています。
それを今回の別のプロジェクトで、
自分が「成果を見ていただく」立場になって成長感とともにようやく体感しました。
 
別のプロジェクトでは、
日本にいたときには考えられないほどの責任と重圧とともにアウトプットの場が多くあります。
あとは自分が積極的にFBをもらいに行くこと。
これが後の3週間を充実した成長機会とするための鍵かなと思っております。

②みんなに紹介したいもの
グローバルパスポートが終わったので国際交流的なこともしていないため、
アイセッカーとどこか行きました!みたいなのは無いです。
今週からホームステイを始めているんですが、
その家族は本当に優しく自分を歓迎してくださっていますが、紹介とかは最後の週報に残そうと思います。
 
ベトナム料理は本当に美味しいです。
ホームステイ先で初日と2日目の夕食でめちゃめちゃ米を食べたら
3日目から今まで異常な量の米とおかずが夕食に並ぶので、
「残しても良いのか?残したら失礼かな、いや食べよう」
みたいな感じで、3、4回おかわりをしています。
毎回、トン三田行ったみたいな量を食べてます。
食トレ。

今週の漢字「惰」
目の前に少し難しい課題が多くあり、その期限がまだまだ先だと、ついつい目を背けてしまう。
これは本当に自分の惰性だし、倦怠感がただただ高まっていく。
今を集中してない感じが多かった1週間でした。
自分自身別のプロジェクトの目標やそれに向けたプロセスなどは立てられているのですが、
結局アイセックの研修としての特徴を活かした自分自身ならではの目標をもう一度見直そうと思います。
その自分自身ならでは目標は自分のなりたい像ややりたいことベースに書き出して、
週ごと日ごとに決めていたのですが、どうも現地に来ると事情が変わってくる項目が多いので今晩リプランします。